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2009年6月13日 (土)

育った花街を偲ぶ会

今日は、元能見南町在住の鈴木圭一氏をはじめ辻村二朗氏、松本町の鶴田周一氏に、むかし、松本町が花街として栄えていた頃の話と貴重な資料をいただきました。Photo

鈴木氏は、松本の花街の頃を知る方々に声をかけ、平成14年に松本町の130周年として「育った花街を偲ぶ会」を作り、むかしの資料、写真や記憶をたどり、明治後期から昭和30年街までの華やかなりし松本町、元能見南町のことをまとめています。

松本の花街としての歴史は、明治38年に蛭川吉之助氏が末広という芸妓置屋を開業したのが始まりで、大正8年には、松本町が芸妓置屋の指定地として公許され、また、同年鶴島館という当時岡崎随一の宴会場が完成し、岡崎を代表する花街として栄えました。

昭和10年頃、芸妓置屋36軒、芸妓数250余名、料理や60余店だったそうです。(松本町百年誌より)

現在は150戸ほどの小さな町ですから、当時の賑わい、その華やかさは相当なものだったと想像できます。

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大正15年11月の岡崎市演芸連盟の創立披露演芸会の広告(私の知っている名前としては落語家の三遊亭圓丈師匠の名前があります。年代から行くと2代目圓丈師匠でしょうか?)や、愛宕尋常小学校に通う子どものスケッチや、鶴島館の写真などたいへん貴重な資料を見せていただきました。
(画像をクリックすると拡大できます)Photo_3

また、当時の置屋の帳面が残っていたようで、昭和13年~16年頃の芸妓さんたちの花代(本花、中花、半玉というランクがあったそうです)や芸妓さん達への給金などもわかり、当時の物価などと比較し、たいへん興味深いものでした。

こういった、風俗文化というものは、なかなか歴史に残らず、当時を知る方々が居なくなると共に、忘れ去られてしまうものですが、このような貴重な資料を取りまとめてただくことで、岡崎の文化、とりわけ生活に根ざした風俗文化の様子を後世に残していける事と思います。

鈴木氏をはじめ「育った花街を偲ぶ会」の皆様のご尽力に感謝するとともに、今後の研究にますます成果が上がりますようご祈念いたします。

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